清生のこと「芸名由来など」
「剋家清生」という芸名について。
「国歌斉唱」と掛けた洒落。
「コッカセイショウ」と読ませる。
落研に入部して、先輩が付けてくれた名前。
当落研では、芸名は先輩が考えて後輩に付ける。基本的に拒否権は無い。ただ、それだとあまりに時代にそぐわないからか、近年、二つ候補を挙げてどっちが良いか選ばせてくれる事はある。
私の時は選ばせてくれた。もう一つの候補は「ち家てつ」。「地下鉄」と掛けた洒落。
一瞬悩んだ。「セイショウ」と呼ばれるか「テツ」と呼ばれるか。そこを考えて、「志ん生や圓生的な響きがあるほうが、まだマシかも…」とこっちを選んだ。
真剣に考えてくれたであろう(?)落研の先輩には申し訳なかったけど、最初あんまり好きな芸名じゃ無かった。でも名乗り始めて、そう呼ばれるようになると不思議と馴染んでくるようになった。
でも、亭号について、「コッカ」と読ませるのは、あんまり納得いってない。噺家さんの亭号は柳家にしろ橘家にしろ「〇〇家(~や)」と読ませるのが普通だから、どうしても耳にしっくりこない。
先輩を馬鹿にするわけじゃないけど、当時居た先輩方はそんなに落語に詳しいわけじゃなかった。ごく普通の一般的な大学生。私のようにマニアックな落語好きな大学生は普通居ない。私の方が普通じゃない。
落語の普通を識らないから「~か」と読ませる芸名となった。先輩を批判するわけじゃないし絶対に馬鹿になんかしないけど、そういうことかと思う。落語の普通を識らないのが普通だもん。
話が逸れるけど、プロの落語家さんを「桂さん」「古今亭さん」と呼んだり、あるいは記事にする時そう表記するメディアがある。
亭号は名字じゃないから、特定の個人の噺家さんを指す時には、亭号では呼ばず、下の「文楽さん」「志ん生さん」と呼ぶのが普通。でも落語の普通を識らない人が多いから、そうなっちゃう。
でもこれに関しては、落語に限らず歌舞伎、ベテランの漫才師さんでも屋号亭号を使う人が居るわけだから、日本人の一般教養として覚えておいても良いんじゃ無いかとは思う。
大学生一年生の、五月か六月に「コッカセイショウ」という名前に決まった。
「剋家清生」という字は、少し後から決まった。
メクリに寄席文字で書く必要があるので、寄席文字担当の部員を中心にどういう字を当てるか決める。あんまり難しい字だとメクリが書けないなんて事にもなりかねない。落研には橘右近監修の寄席文字字典があり、基本的にそれに載っている字から選んでいた。お手本が無いと書けないから。
ところが、何故か亭号の「剋」という字は、その寄席文字字典には載ってなかった。何故先輩はこの字を選んだのか。
勿論寄席文字の書き方の基本が分かってればどんな文字でも書けるんだけど、部員の中にはそんなの出来ない人も居る。私は二年生から寄席文字担当になったのだが、寄席文字字典に載ってない字は苦労した。自分の芸名で四苦八苦するとは思わなかったけど。
高座に上がって、マクラで自己紹介すると、名乗っただけでお客さんが笑って下さる事がある。正直、そんなに面白い名前では無いと思う。それを狙った芸名でも無いし。
でも名乗っただけで笑いが起こるかどうかで、その日のお客さんの雰囲気や感度が測れる。一応狙って名乗ってる芸名ではないので、それでも笑うのかどうかで、測る。
でも、その後どうしていくかの技術が足りてないので、残念ながら測ったからどうなるわけでも無かったりする。
名乗っただけで笑いが起こったり、あるいは名前にまつわるエピソードがマクラのネタになるような人は、得だと思う。
我々アマチュアは、テレビで顔と名前が売れてる芸人さんとは違うから、ちゃんと自己紹介して、目の前のお客さんにある程度で良いから受け入れて貰わないと蹴られる。
この自己紹介時に、なんか一笑い起こせるようなネタがあれば最高。笑わせられなくても、自分の人となりが分かるような芸名だとお客さんとの距離を詰めやすいと思う。
私の社会人落語の仲間で「呑み亭一芯」さんという方が居る。
「落語を楽しむ会貝ヶ森」というサークルに所属する方で、芸名はご自身で考えたもの。この名前は良いなぁと思う。「ノミテイイッシン」。呑みたい一心、という洒落。この名前は、マクラでも色々使えるでしょう。「呑み亭一芯」になりたい。
でも、当落研では先輩が名付けるので、自分の思うような芸名にはならない。
噺家さんのエピソードだったかどうかは忘れたけど、芸談で、芸名とかで出落ち的に安易に笑いが取れちゃうと、それに頼りっぱなしになって本芸が伸びないから良くないというのを聞いた事がある。
そう考えると私は剋家清生で良かったのだと思う。本芸が伸びてるかはさておき。
落語の仲間同士は、基本的に芸名で呼び合う。
ただ、落研一年生のまだ芸名が付いてない頃は、先輩や同期からは本名で呼ばれる。そっちで馴染まれた方とは、会うと本名で呼ばれる事がある。
落研の同期の手玖手玖手鮎六(てくてくていあゆむ)君は、最初本名で馴染んじゃったので、私は彼のことをどうしても本名で呼んでしまう。鮎六君は私のことを呼ぶときは、芸名と本名半々くらいだったかな。
でも落研内では芸名で呼び合うのが慣わし。本名で馴染む前に早めに芸名付けなきゃいけないと、先輩方は仰ってた。
剋家清生になり、剋家清生として会った人達(社会人落語仲間)は、全て私のことを清生と呼ぶ。それが普通だから、私も皆さんの事を芸名で呼ぶ。
だから、本当にお互いの本名を知らない事がある。年賀状を出そうとして、そこで初めて本名を知るパターンが多かった。
落研の後輩にお祝い事があり、プレゼントを宅配便で贈る際、たまたま住所は控えてたんだけど、その子の本名が分からない。面倒だから宛名を芸名にして贈ってやった。受け取りの時恥ずかしかったとか言ってた。
時々困るのが、その方の自宅に電話をかける必要がある時。
携帯電話なら本人が出るから、芸名で呼んでも問題ない。
家電だと、その方のご家族が出る可能性がある。
電話かけて、先様で第一声「はい、佐藤でございます」と言われても、相手の本名知らないから、「佐藤さんで間違いないのか」が分からない。
私も「わたくし、落語でお世話になってる山田(仮名)という者なんですが」と名乗っても、相手が私の本名知らないから、落語の仲間のうち誰から来た電話なのか分からない。電話口に出て初めて私と分かり「ああ、なんだ清生君か! 誰かと思ったよ。君、山田(仮名)っていうのか。でもあんまり山田って顔じゃないね」なんて事もあった。
「私剋家清生という者なんですが」と名乗ったとして、察しの良いご家族であれば「ああ、うちの旦那のお仲間ね」と理解して頂きすぐに取り次いで貰える。そうでないと「はい、少々お待ち下さい…(小声:なんか変な電話なんだけどどうしよう? 国家がどうとか…)」と不審電話と間違えられちゃう。不便といえば不便かも。
普段は本名で生活し、趣味の落語になると剋家清生として活動する。
この名前が二つあるというのは、精神衛生上とても良いなぁと思う。
まず仕事と趣味の切り替えがハッキリする。
職場では私は落語をやってる事は内緒にしている。なので職場の人は私が剋家清生であることは知らない。芸名で呼ばれる事は絶対に無いし落語の話もしない。
仕事は辛いこともある。でも働かないと食えないので我慢する。その反動で、趣味の落語はしっかり楽しみたい。
落語の世界では、私は剋家清生である。そうとしか呼ばれない。仕事の事は頭から離れて、しっかり楽しめる。
もし落語のほうで何か辛いことがあったとしても、職場に行けば、私は剋家清生では無くなる。目の前の仕事に集中すればそこから離れられる。
この切り替えがうまく出来る点で、気持ちが救われた事が何度かあった。
剋家清生という二つ名は、私にとってとても貴重な財産だ。
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