清生のこと「持ちネタ『ろくろ首』」
「ろくろ首」は大学一年生の冬に覚えた、二つ目のネタ。
落研では最初に覚える噺は先輩が指定してくれる。
私の一つ目のネタは「たらちね」。
次に覚える噺からはやりたい噺を自分で探して良い事になっていた。
高校生の時好きで聞いていたのは、三代目三遊亭金馬の「茶の湯」、五代目柳家小さんの「宿屋の仇討ち」「万金丹」。いずれも、当時NHKラジオで放送していた「ラジオ名人寄席」から録音したもので、大好きで繰り返し聞いていた。
「茶の湯」は演りたかった。落語にドハマリするきっかけのネタだし、爆笑が取れそうだという打算もあった。
演りたかったけど、でも「茶の湯」はやるわけにはいかなかった。
当時、落研には手作りの噺の一覧表があり、それには「前座噺」「二つ目の噺」「真打ちの噺」とネタの格が分類されていた。
うちの落研では、プロの真似をして「前座」「二つ目」「真打ち」と身分を分けていた。ざっくり学年で分けており、一年生は前座、二年生の夏の発表会か秋の学園祭で二つ目、三年生になったら真打ち昇進となっていた。発表会時に真打ちの披露口上なんかもやってた。発表会のトリも、真打ちじゃないとやっちゃいけない決まりであった。
一年生のうちは前座。「茶の湯」は、その一覧表によると「真打ちの噺」。当時の落研内のルールにより、「茶の湯」にはまだ手が出せなかった。
今だから言えるけど、あの一覧表の分類には「これは前座噺じゃねえだろう」という噺もあった。私は後輩には「これはあくまで参考程度に」と言った覚えがある。
さて、当時は上記のような事情があり、「たらちね」の次に覚える噺は、その一覧表の「前座噺」の中から選ぶしか無い。
その「前座噺」の演目の中に「ろくろ首」はあった。五代目柳家小さんのCDで聞いて、面白かったので覚えたいと思った。
映像資料が無かったが、小さんの速記本が部室にあり、それに所作が注釈として書き込んであったので、それを参考にしてやった。
後年、YouTubeに上がっていた落語家さんの動画で改めて所作や目線などを確認した。細かいところはやっぱり間違ってた。ちゃんと演るなら映像資料には当たらないといけない。
初めて聞いた時は面白いと思ったけど、ネタおろしした時にさっぱりウケなかった。ネタおろしの後出前寄席でも何度か掛けたけど、その時もあんまりウケなかった。
笑って欲しい所でウケないのはやっぱり辛い。その後は自然と演らなくなってしまった。
暫く後、仙台新撰落語会で都家東北さん(みやこやとうほく。仙台のアマチュア落語家)が「ろくろ首」演ってるのを拝見して、それがとても面白くて衝撃を受けた。
当たり前の話だけど、「ろくろ首」というネタはちゃんと面白い。その面白いネタを私が面白く喋る事が出来なかっただけ。東北さんのような腕っこきの方が演ればちゃんと面白く仕上がるんだ。という事実を目の前に突きつけられて打ちのめされた覚えがある。
現在全くお蔵入りさせた訳では無いのだけど、ほとんど演っていない。
理由としては、ちゃんと演ると長い。三十分近くかかる。真ん中の挨拶の練習・お見合いの件を抜いて演ったことはある。けどここ抜くのは、なんか違うと思う。
出前寄席なんかで出番を貰っても、持ち時間の関係上やりにくかったりする。
また、やはり夏の噺なので、自然とそれ以外のシーズンは演らない(ネタおろしが冬だったのは、恥ずかしい話当時は噺の季節感とかに意識が向いてなかった)。といって毎年夏に必ず演る機会があるわけじゃない、演る機会が無いとお稽古もしない、更にこの噺から足が遠のく。
この投稿のため改めて「ろくろ首」聴き直してみたけど、やっぱり愉しい。
愉しいと演ってみたくなる。このワクワクする気持ち、当時の自分と重なるのは我ながら恥ずかしいけども嬉しい。
台詞が一切無いけども、お嬢様を自分の中でちゃんと描いておかなければいけないと思う。こう表現してみたい、という欲もある。
学生時代に覚えたネタは、案外身体の中に残ってる。随分御無沙汰でも、台詞がスラスラ出てくる事が多い。とはいえ、やはり完全に捨てるつもりが無いのであれば、高座に掛ける機会が無くても時々お復習いしておかないと駄目。急に演る機会が出来る場合もあるから、ある程度は備えておかないといけない。
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