落研の思い出「初稽古」
落研では入部すると最初に手ほどきとして小咄を覚え、それで落語の基本を教わる。お辞儀の仕方、カミシモ、演じ分け等。
私が落研に入った時は小咄二つ覚えた。
「やぶ医者」と「ケチの釘」。
「ケチの釘」は、商家の旦那が小僧に「そこに釘の頭が出てるから隣から金槌借りといで」という、吝いやの小咄。
私が入る数年前まではもう一つ、お侍が縁日の日にちを訊ねる「九日十日」の小咄も覚えさせていたらしい。これが出来るようになってから、初高座用の一席ものの噺を覚えるわけだ。
でも、小咄三つ覚えるのは負担だからと、途中から上記の二つになったらしい。
で、私の代になってから、後輩には「やぶ医者」一つだけを教える事にした。
二つ稽古するの時間かかるし、なるべく早く一席ものの落語に取りかかって欲しかったので、私の代で更に減らした。なので私より下の世代は小咄は「やぶ医者」だけ稽古して、それが出来てから一席ものの噺を稽古する流れになった。
この「やぶ医者」は、流行らない医者が下男をサクラに使って繁盛しているように見せる、あの噺ではない。
折角なので書き出してみる。
「先生、ちょいと診て頂きたいんで」
「おお、どうした。熱でもあるのか」
「いえ、あっしじゃねぇんで。実はあっしん家の庭の竹に花が咲きましてね。竹が花を持つと枯れる、なんて事を伺ったもんで、ちょいと先生に診て頂こうと思いまして」
「おいおい、何て事を言うんだ。あたしは医者だよ。そんなことなら植木屋にでも行って聞いたら良いだろ」
「え、でもこちらやぶ医者ってぇことを、伺ったもんで」
という小咄。
代々、東北学院大学落語研究会の伝統として、新入生は最初にこの小咄を覚える。
「やぶ医者」で江戸っ子の演じ方、家屋に誰かが入ってきて噺が始まるよくある落語のパターン、外から中に入ってきた時の目線と声の違いを覚える。
「ケチの釘」では小僧さん(子供)と旦那(お年寄り)の演じ方、目線を覚える。そして、恐らく「九日十日」ではお侍の演じ方と、トントンオチのリズム感なんかを覚える狙いがあったと思われる。
私の代で「やぶ医者」一つだけにしちゃったのは、良かったのかどうか…
上の先輩には叱られるかも知れない。
少し感動した事があって、それは私が四年生の時。落研三期生の福々亭頓馬さん(ふくふくていとんま)とお会いした際、頓馬さんが「今もこの小咄稽古してるの?」と言って、私の目の前で、本当にスラスラとやぶ医者をお演りになったのだ。三十数年前に覚えた小咄がスラスラ出てくるのも凄いが、またそれが我々がやっているのと一字一句違わずに頓馬さんの口から出てきたもんだから、これが落研の伝統で、それが今にも繋がっているんだと感動した覚えがある。
うちの落研の身分証明はこの「やぶ医者」。喋れなくても、全員知っているはず。
でも、落研の卒業生だっていう人には、頓馬さんみたいじゃないにしても、スラスラ喋れて欲しいなあ。
泉キャンパスで稽古会がある日は部室内でお稽古していた。土樋キャンパスで稽古会がある日は、部室棟の中にある和室で行っていた。
土樋の和室は、時折邦芸部(華道や茶道をやるサークル)が借りている事があった。でも、ほとんどは落研が使わせて貰っていた。今学生さんに聞いたら、和室はもう落研しか使わなくなっており、すっかり落研の専用になっているらしい。
和室が使えない時は、教室か、狭いけど部室内で行っていた(一畳分の畳の高座がある。すっかりベンチ扱いだったけど)。部室棟には防音室があり、そこが空いていればそこも使った。防音室は基本的に楽器を演奏するサークルが使っていた。
昔は屋上でも稽古したらしい。兎に角大きな声を出させるために、そこでやったらしい。私の時はそれは無かった。屋上では発声練習だけ。
稽古をする時、眼鏡・腕時計やアクセサリー類は全て外す。勿論高座でもそう。
今落語家さんでも眼鏡をかけて落語をやる方は多いが、昔は高座で眼鏡をかけてはいけなかったようだ。三代目三遊亭円歌、八代目橘家円蔵あたりから眼鏡かけて高座に上がる人が増えてきたらしい。
最近では、マクラの時だけ眼鏡かけていて、噺に入ったら眼鏡外すという落語家さんも居る。三遊亭萬橘さんもそうだし、先日観た春雨や晴太さんもそうだった。
私は視力が悪いので、普段眼鏡をかけている。
最初の稽古の時、先輩から「眼鏡外して」と言われ、気恥ずかしくて何故かとても嫌だった。
寝る時以外眼鏡掛けっぱなしだし、人前で眼鏡外したことが無く、何故か凄く気恥ずかしくて最初ずっと抵抗していた。先輩からしたら「眼鏡外すだけなのに、なんだこいつは」と不思議だったろう。
眼鏡外さないと本当にお稽古して貰えないので、嫌々外して、しぶしぶ裸眼でやった。
慣れるもんで、今となってはそれが当たり前となった。逆に、眼鏡外さないと落語出来ない。社会人になってから、試しに一度眼鏡かけたまま高座に上がったら、お客さんの顔がしっかり見えて、それが気になって緊張して喋れなくなった。すぐに眼鏡外して事なきを得た。
小咄の稽古の時、先輩がお手本を見せてくれて、また台本も作って貰った。演じる上でのポイントを書き込むような穴埋め形式の台本で、先輩が手作りで用意してくれた。
この時先輩から注意されたのは、私の癖で、台詞の合間に入るブレス音が耳に障るから気を付けるようにとの事。これは二十年近く経った今でも気を付けるようにしてはいるつもり。
「やぶ医者」「ケチの釘」の稽古が終わったのが、夏休みに入る前。
小咄稽古のあとは、初高座に向けての噺に取り組む。私は先輩から「たらちね」をやるよう言われた。いよいよ初高座に向けての稽古、楽しみでしょうがなかった。
夏は、そういう思い出もある。
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