落研の思い出「辞めた部員」
東北学院大学落語研究会OB会。
在学中落語研究会に所属していた者で構成される団体。入会資格は、卒業時に落研に在籍しているという一点のみ。落研卒業生であれば誰でも無条件に入会となる。
入会とはなるが、卒業後にOB会の活動に参加するか否かは任意であり、OB会に籍はあるものの全く顔を見せない卒業生も居る。
卒業生であれば誰でもOBとして扱われるが、途中で辞めた部員はOBとして認められない。
例え、大学四年生の三月に辞めた場合でも、OB会の名簿には載らない。
学生時代一緒に活動した私の後輩にも、そういう後輩が一人居た。
私の三つ下、四十三期生にあたる子で、本当に卒業間際になって落研を辞めた。一年生の時に入部したので約四年間しっかり活動していたのだけど、それでもやはり卒業時に在籍していなかったので、OB会の名簿には載っていない。
私が卒業した後のことでもあったので、どういう事情があったのかは分からない。
落研一期生の翁家小三馬さん。当時は馬耳亭念仏さん(ばじていねんぶつ)。
この方の奥様も当時落研に在籍していたのだが、途中でお辞めになったので名前が残っていない。
落研創部当時は会則の中に「部内恋愛禁止」の文言があったそうだ。
芸道に邁進するため色恋は禁止。
とはいうものの、若い男女が青春真っ只中、なかなかそうはいかない。
一期生という立場上、致し方なく奥様(当時はまだ彼女)に落研を辞めて貰い、交際を継続されたとのこと。
後年、その会則は有って無いような物に成り下がってしまうのは致し方のない事、最初から無理な規則であったわけで、その最初の犠牲者が小三馬さんの奥様。
私が学生時代一度お目に掛かった事があるがとても素敵な方で、当時辞めた後も、一緒に活動された仲間との関係は良好のようであった。
途中で辞めた場合は落研の卒業生とならないのだが、お一人だけ例外があった。
四期生の山寺亭小狸さん。
この方は、落研在籍中に、大学の文化団体連合会に派遣されていた。文化団体連合会というのは、大学のサークルの元締めのような団体。そこに出向するため、落研を途中で辞めた形になっていたらしい。小狸さんは文化団体連合会に入り、そこで(部費の配分など)様々な事が落研に有利になるように暗躍していたとか、いないとか。
ご本人は行きたくなかったらしいが、先輩の命令で泣く泣く出向となったらしい。
卒業時に在籍していなかったので、長らく部室で管理していたOB会の名簿には名前が載っていなかった。私も最初は存じ上げなかった。
小狸さんの仲間のOBが声がけし、晴れてOB会員となった。
現在アマチュアとして高座に上がっている方で、落研を途中で辞めた方もいる。
ご本人はそのことを公表されているのかいないのか不明なので詳細は書かないが、その方の落研在籍中の芸名は「きりきり亭まい」といったそうだ。
落研OBの誕生亭桂喜さん(ばーすでいけいき)がたまたまこの方とお会いした際に「あれ? きりきり亭まいじゃん!」と仰っていた。桂喜さんの後輩に当たる方のようだった。
私が学生時代、出前寄席で行った先で途中で辞めた方にお会いした事があった。
私が大学二年生くらいだったか。福島県原町で催されたTG会に余興で呼んで頂いた事があった。
TG会とは東北学院大学の同窓会で、各地に存在する。
原町のホテルの会場で落語を一席。その時は「ろくろ首」を演ったのを覚えている。
私が演り終えた後、声を掛けて下さった年配の女性の方。
「実は私、学生時代落研に入ってたの」
まさか先輩にお目にかかるとは思わず、慌ててご挨拶。
「私は『ふじ家みるきー』っていうの。でも、あなたは私のこと分からないでしょう、私落研は途中で辞めちゃったから」
前述の通り途中で辞めるとOB会の名簿には載らない。そのお名前も全く存じ上げなかった。
失礼ながら話の流れで何故お辞めになったか訊ねると、付けられた芸名が問題であったとの事。
ふじ家みるきー、お菓子の名前から取った、可愛らしい素敵な名前じゃないですか。
「でもね、酷いのよ。『母乳』って書いて『みるきー』って読ませるのよ」
最低! 誰が付けたか知らないけど、酷いな!
今こんな事したら大問題。というか、昔だってこんな事したら駄目だろ。
それが嫌でお辞めになったとの事。そりゃそうだ。これは防げた事故だろう。
落研も長い歴史があり、残念ながら途中で離れた部員もたくさん居たと思う。でもたとえ一時的だったとしても落研に在籍して当時の活動を支えたわけだから、名前は残ってなくても大事な功労者であることに変わりは無い。と思う。
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