仙台新撰落語会の思い出「都家東北」
都家東北(みやこやとうほく)さん。
仙台新撰落語会の先輩。
短志さんとは古い仲で、仙台新撰落語会の前身のよせよせ落語会の頃からのお付き合いとの事。
たしか早稲田大学の落研出身であったはず。
仙台新撰落語会が発足してからも何度か出演されているが、途中から参加されなくなった。色々と事情があったようで、その辺はあまり詳しく書かない。
東北さんに初めてお目にかかったのは第二回目の仙台新撰落語会。
当時私は大学生。私は仙台新撰落語会には学生の時から出入りさせて貰っていた。
落研の大先輩、山形の胃仲家百勝さん(いなかやひゃくしょう)が新撰落語会の創設メンバーでいらっしゃったので、そのツテで「お手伝いさせて下さい」とお願いして参加させて貰った。
東北さんの落語で私の記憶にある高座は「芝浜」「ろくろ首」。
東北さんの「芝浜」は、私自身が「芝浜」にチャレンジしようと決めたきっかけの一つでもあるので、印象に残っている。
また「ろくろ首」は、私も持ちネタにしていたが、私よりもはるかに面白い「ろくろ首」だったのでショックを受け、それでこちらも印象に残っている。
都家東北さんの仙台新撰落語会での口演記録は以下。
第二回(二〇〇六年六月二十四日)…「死神」「もう半分」。
私が初めて新撰落語会を観に行った時。トリの出番で、時間があるからと二席お演りになった。どちらも大きい噺で、二席続けて演っちゃうのに驚かされた。
第三回(二〇〇六年十二月九日)…「芝浜」。
第四回(二〇〇七年二月四日)…「抜け雀」。
第五回(二〇〇七年六月三十日)…「しじみ売り」。
第七回(二〇〇九年一月一九日)…「御慶」。
第八回(二〇〇九年五月三十一日)…「お富与三郎」。
第九回(二〇〇九年十一月一日)…「ろくろ首」(この回以外は全てトリでの出演)。
熱心な立川談志信者であり、高座拝見した印象としては志らくと談春を足して二で割ったような感じであった。
学生時代の淡い夢で、当時は私は落語家になりたかった。
今振り返ってみると、そこまで本気ではなく、ただなんとなく憧れていただけであった。落語家になるために何か行動していた事もなかった。
ただ、なんとなく新撰落語会の打ち上げの席などで、私が落語家に憧れているような話題は出ていた。短志さんなんかは「噺家は食えないから、『清生を噺家にしない会』を発足させよう」かなんか言っていた。
私が噺家に憧れているような事は東北さんの耳にも入っており、新撰落語会の二次会にマジックバーに連れて行って貰いサシで話を聞いてくれた。「落語家になりたいの?」「誰の弟子になりたいの?」「落語家の〇〇さんなら紹介出来る。あの人は凄く良い人だから」等、熱っぽく会話した覚えがある。
結局、私は大学卒業後地元企業に就職したので東北さんのツテを頼る事は無かった。
東北さんが新撰落語会に顔を出さなくなってからは、個人的にそんなに付き合いが深かったわけでもないので、交流が無くなった。
仙台市内でのホール落語会等でお姿をお見かけしたことは何度かあった。ご挨拶すると、軽く返事は返して頂ける、そのぐらいの感じ。
最後に言葉を交わしたのは、柴田町のえずこホールであった落語会の、仲入り中のトイレ。その時かなり御無沙汰で、「東北さん私のこと覚えてるかな」と思いながら「お疲れ様です、東北さん」と声を掛けた。気付いて頂けたが、「申し訳ないがその名前ではもう呼ばないで欲しい」と仰った。単に人前で芸名で呼ばれるのが嫌だったのか(私も人混みの中で芸名連呼されると少し恥ずかしい)、それとも「都家東北」という芸名は捨てたのか。私が受けた印象は後者に近かったけど。そこまで深くあれこれ聞ける関係でも無かったので、それきり。
東北さんは新撰落語会に顔を出さなくなってから、アマチュアとして人前で落語を披露することは無かったと思われる。
前述の通りご自身は熱心な談志信者で、立川志らくと親交が深かったようだ。
志らくのSNSに名前が良く出ていた。また、志らくの落語会が仙台であると、マクラで話題に上ったりもしていた。志らくファン、コアな落語ファンの中では「電力の渡辺君」として記憶に残っているはず(東北電力にお勤めで、本名が渡辺さんなので「電力の渡辺君」)。
志らくの唯一の親友、ともあった。
五十二歳、まだ若い。
お亡くなりになってから暫くして、短志さんから「東北さんを偲ぶ会を二人でしよう」と声を掛けて貰った。
二〇一八年十一月二十三日。東北さんが眠る林香院で柳家三三の落語会があり、それを短志さんと一緒に観た。墓参の後、よせよせ落語会時代に行っていたという苦竹の居酒屋さんに出向き、一緒に呑んだ。昔の写真や古いプログラムなんかを肴に、色んな思い出話を聞かせて貰った。
短志さんにとっては長年の大事な相棒。よせよせ落語会の資料によると、東北さんの会員登録は平成元年三月。二十五年以上の付き合いであったわけだ。
今思えばもっと懐に飛び込んで行けば良かった。シャイな方、という印象だったが、ハマれば色んなお話を伺えたと思う。まさかこんなに若くして亡くなるとは思わないから。
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