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落語演ってきた「出前寄席・泉区山の寺社会福祉協議会様@山の寺集会所」2024/6/30

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本日は出前寄席に行ってきました。 泉区山の寺社会福祉協議会様からのご依頼で、地域の方々に落語を観て頂きました。 一、黄亭花透音「たらちね」 一、若阿若阿亭寝子「卒検寄席」 一、三中亭優楽「粗忽長屋」 ~仲入り~ 一、剋家清生「茶の湯」 本日は東北学院大学落語研究会の学生さんお二人、落研OBの寝子さんに共演をお願いして、私含め四席申し上げてきました。 こちらは昨年夏に伺った別の出前寄席にてお世話になった方からのご紹介で実現したもの。ご縁を頂き有難いです。 泉区山の寺は、私にとって青春の地。 東北学院大学に入学し、最初泉キャンパスに通うため初めて一人暮らししたのがこの山の寺。 早めに現着し辺りを回ったら、当時借りていたアパートがまだあり、当時の思い出がどんどんあふれ出てきた。懐かしい。 マクラでは当時の思い出なぞ話させて頂きました。 お時間多めに頂けるようでしたので、折角なので「茶の湯」を演らせて頂きました。 ネタ選びは間違えてなかった。たくさん笑って頂けましたが、私のコンディションが宜しくなく、汗だくになり、更に舌が回らない。お見苦しく大変失礼しました。 でも温かいお客様と、噺の力のお陰で沢山笑って頂き、なんとか格好がつきました。 途中、内心少し焦ってしまうような場面がありましたが(私の思い込みだったかも)、慌てず、「『茶の湯』は面白い噺なんだから大丈夫」と噺を信じて演るべきであった。これは稽古不足故。肝に銘じるべき。 後輩達も、沢山笑って頂いておりました。 お客様のお陰で凄く盛り上がった、楽しい落語の時間であったと思います。 優楽君、花透音さん学生さんお二人は、先日の雨宿り落語会の時のネタでした。早くも、先日拝見した時より慣れてきたような印象。しっかり固めていく時期ですね。 寝子さんは自作。昨年のOB迷人落語会でも掛けていたネタ。客席爆笑。素晴らしいです。 今日は雨の予報でしたが、会が終わる迄は天気持ってくれて良かった。 良い休日でございました。 画像は、本日のキャッと驚く良い男↓

清生のこと「持ちネタ『ろくろ首』」

「ろくろ首」は大学一年生の冬に覚えた、二つ目のネタ。 落研では最初に覚える噺は先輩が指定してくれる。 私の一つ目のネタは「たらちね」。 次に覚える噺からはやりたい噺を自分で探して良い事になっていた。 高校生の時好きで聞いていたのは、三代目三遊亭金馬の「茶の湯」、五代目柳家小さんの「宿屋の仇討ち」「万金丹」。いずれも、当時NHKラジオで放送していた「ラジオ名人寄席」から録音したもので、大好きで繰り返し聞いていた。 「茶の湯」は演りたかった。落語にドハマリするきっかけのネタだし、爆笑が取れそうだという打算もあった。 演りたかったけど、でも「茶の湯」はやるわけにはいかなかった。 当時、落研には手作りの噺の一覧表があり、それには「前座噺」「二つ目の噺」「真打ちの噺」とネタの格が分類されていた。 うちの落研では、プロの真似をして「前座」「二つ目」「真打ち」と身分を分けていた。ざっくり学年で分けており、一年生は前座、二年生の夏の発表会か秋の学園祭で二つ目、三年生になったら真打ち昇進となっていた。発表会時に真打ちの披露口上なんかもやってた。発表会のトリも、真打ちじゃないとやっちゃいけない決まりであった。 一年生のうちは前座。「茶の湯」は、その一覧表によると「真打ちの噺」。当時の落研内のルールにより、「茶の湯」にはまだ手が出せなかった。 今だから言えるけど、あの一覧表の分類には「これは前座噺じゃねえだろう」という噺もあった。私は後輩には「これはあくまで参考程度に」と言った覚えがある。 さて、当時は上記のような事情があり、「たらちね」の次に覚える噺は、その一覧表の「前座噺」の中から選ぶしか無い。 その「前座噺」の演目の中に「ろくろ首」はあった。五代目柳家小さんのCDで聞いて、面白かったので覚えたいと思った。 映像資料が無かったが、小さんの速記本が部室にあり、それに所作が注釈として書き込んであったので、それを参考にしてやった。 後年、YouTubeに上がっていた落語家さんの動画で改めて所作や目線などを確認した。細かいところはやっぱり間違ってた。ちゃんと演るなら映像資料には当たらないといけない。 初めて聞いた時は面白いと思ったけど、ネタおろしした時にさっぱりウケなかった。ネタおろしの後出前寄席でも何度か掛けたけど、その時もあんまりウケなかった。 笑って欲しい所でウケないのはやっぱり辛い。

清生のこと「持ちネタ『たらちね』」

持ちネタの記録を。 「たらちね」は一番最初に覚えた噺。 落研に入って最初にやるネタは先輩が「これ覚えてきて」と指定してくれる。 当時は先輩も指導がしやすいように、先輩自身が演ったことがあるネタの中からそれを選んでくれた。 落研に入る前に「たらちね」を聞いたことは無かった。 部室にあったカセットテープを借りて聞たのが初めて。 当時落研にあった「たらちね」のテープは、林家木久蔵(現木久扇)・二代目古今亭圓菊・五代目柳家小さん。 木久蔵・圓菊のは十五分程にまとめられていて、初心者が挑戦するのに時間も程良く、先輩としてはこっちで覚えて欲しかったらしい。 でも私は小さんので覚えた。小さんの音源は二十五分くらいあった。先輩は少し困っていた。 たいてい一年生だと前座扱いで、発表会や出前寄席なんかでも最初に出る。そいつが二十五分ある噺をやるなんて、正直後から上がる先輩からしたら迷惑な話だし、お客さんも困る。そんなことまだ知らないから、小さんの「たらちね」を一生懸命コピーしようと頑張った。でやっぱり二十五分かかる「たらちね」に仕上がった。 器用な人なら、長いネタも部分部分端折って短く編集するんだろうけど、そういうことは出来なかった。初めてだし。 持ち時間の関係で、しょうがないからサゲまで行かず、婚礼の夜の自己紹介のとこまでで切ったりしたことはあった。 当時は、小さんの音源を元にテープ起こしの要領で台本を書き起こし、それを一字一句暗記した。 一年生の六月か七月あたりに始めて、夏休みはそれをひたすら練習。噺を覚えるのは当時から時間が掛かっていた。 初高座は、お手本通りそのまんま演った。 私の初高座は、大学一年生の夏休みの終わり。九月。三回目の東北大学の落研との合同落語会。会場はエルパーク仙台のホール。仙台ジャズフェスと同じ日だった。 ウケたかどうかはあんまり覚えてない。でも、笑いの量は大したことなかったはず。 緊張はした。とりあえずサゲまで完走は出来た。 翌年二月に次の噺をネタおろしするまで持ちネタはこの「たらちね」だけ。 初高座のあと出前寄席で亘理町まで行き、「たらちね」を演った記憶がある。これが初めての出前寄席。秋だったと思う。先輩に連れて行ってもらって遠足気分だったのは覚えている。 「たらちね」は一番付き合いの長いネタ。捨てないで今でも持っている。 付き合いが長いので、時々で変遷は

落語観てきた「令和六年度雨宿り落語会@市民活動サポートセンター」2024/6/23

今日は後輩の発表会を観に行ってきました。 一、藍舎都羽「犬の嫁入り」 一、楽進亭瑠嘉「味噌蔵」 一、渡来庵杜来「看板の一」 一、炊立亭土鍋「風呂敷」 ~お仲入~ 一、頑張亭たい杜「稽古屋」 一、黄亭花透音「たらちね」 一、三中亭優楽「粗忽長屋」 東北学院大学落語研究会主催。 出演は二年生から四年生まで、演者総出演。 今年無事に一年生が入部し、合計で部員が十一人になったそうです。 毎年新入部員が入って貰わないと途絶えてしまいますので、卒業生としては有難い。 仲入り後に一年生四人のお披露目がありました。 学生さんが一生懸命落語に取り組んでるのは素晴らしい。 また観ていて「上手になったな」と感じるのも、先輩としては嬉しい。私が指導しているわけじゃないけど。 以下感想。 都羽さん「犬の嫁入り」は初めて聞いた噺。貫禄ある高座。 瑠嘉君「味噌蔵」汗びちゃびちゃ(笑) 空調の関係もあるでしょうが熱演でもあった。口調が良い。 杜来君「看板の一」兎に角笑顔が素敵。上手になった印象。 土鍋さん「風呂敷」私も演るけど出来ないのでお蔵にした噺、ウケてて凄いなあ。 たい杜君「稽古屋」凄く華があった。失礼ながら前はそこまでじゃなかったような。策伝出てからどんどん化けてきたか。走ってたけどお客さんがちゃんと付いてきてたのは凄い。 花透音さん「たらちね」たい杜君の後はやりにくかろうし、看一以外の前に出たネタ全部たらちねと付いてるし、割喰ってる印象。でもきっちり演って偉い。 優楽君「粗忽長屋」は工夫が多いようで、大したもんです。大間だなあ。 生憎の荒天で、更に本日仙台も梅雨入りと、まさに「雨宿り落語会」といった感じ。また本日電力ホールでは同じ時間帯に春風亭一之輔の独演会があって、そっち観に行ったお客さんも多かったかと思います。それでもお客さん、五十近くは入っていたか。演者を応援しようという雰囲気のある客席でした。 学生さんの会は毎回観に行けるわけじゃないので、今日は行けて良かった。

落研の思い出「OBさん」その二

学生時代、OBさんとの交流がたくさんあった。 私が大学二年生の時に創部四十周年記念があったので、このタイミングで「御無沙汰だったけど久し振りに落研に顔出してみるか」みたいな方が多かった。四十周年を機にそれまで活動休止状態だったOB会も再機能し始めた。そういう、人が集まり出すタイミングだったと思う。 私は落語というキーワードのお陰である程度世代を超えて先輩方と繋がる事が出来た。学生ながら色んな方と交流が出来て勉強になった。考えてみりゃ、自分より年上の人なんて、親戚か学校の先生くらいとしか接する機会無かったし、若いうちはそれが普通だと思う。色んな大人の方々と交流があったのは、良い財産だったと我ながら思う。 創部間もない頃活動していた方々は、ちょうど定年間近。仕事も落ち着き、またお子さんが居ても手が掛からない年頃だったりして、時間も取りやすかったのだろうと思う。まして、自分達が創部し、部員を増やして落研の基礎を作り上げたという自負もある。四十周年の時は、第一期生から五期生くらい、そのあたりの世代の皆さんが積極的に参加されていた。 当時六十歳前くらいのOBさんと、二十歳前の学生の私。私は落語という共通の趣味があったので、一緒に過ごしていて何の違和感も無く、また居心地悪いとかも無かった。むしろ、落語の話で誰かと盛り上がれるのが生まれて初めてだったから、凄い嬉しかった。 でも、別に落語が大好きで入ったわけじゃない他の部員は、正直あんまり積極的に関わりたくは無かったろう。気遣うし。何喋って良いか分からないし。 笑福亭文扇(しょうふくていぶんせん)さんという、落研三期生のOBさんが、ある日ふらりと土樋部室に遊びに来られた。「笑福亭」といっても上方落語のプロの方では無い。当時の落研が勝手につけて名乗った亭号で、本物の一門とは何の関係も無い。 文扇さん、約束して来られたのか、それとも突然だったのか、あんまり覚えてない。その時は学生は私しか部室に居なかったかな。誰か居たかもしれないけど、早々に帰ったのか。あんまり覚えてない。 部室内を懐かしみ、昔話なんかして過ごす。また備品のCDを一緒に吟味。「お、志ん朝のCDがたくさんあるじゃないか」文扇さんは志ん朝が大好き。「志ん朝、良いなぁ。志ん朝はやっぱり『明烏』だよなぁ。…このCD貸してくれ!」この時何枚か志ん朝のCD借りていかれた。そのまま一

落語観てきた「春風亭かけ橋・神田松麻呂二人会 午前の部・午後の部@花座」2024/6/16

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本日は花座へ。とっても楽しみにしていた二人会。 本当は昨日もあったんだけど仕事で行けず。本日の午前の部と午後の部、両方観てきました。 午前の部 テーマ「芝居」 一、オープニングトーク 一、神田松麻呂「奉書試合」 一、春風亭かけ橋「権助魚」 ~仲入り~ 一、春風亭かけ橋「蛙茶番」 一、神田松麻呂「芳沢あやめ」 オープニングトークにて昨日の公演の様子など。たっぷりだったようで、昨日も行きたかった。 今回の公演はテーマを決めてそれぞれネタ出しされていて、そのテーマに沿った演目は仲入り後にやる形にして、仲入り前は違うネタを、という構成。 松麻呂さんの「芳沢あやめ」は最近ネタおろしされたようで。 このネタを演るにあたり芳沢あやめ生誕の地まで行き現地を回ったそうです。 以前花座で佐倉義民伝聞いた時も、現地を回ったエピソードをマクラで話されていました。やはりこういうのが大事なんでしょう。 「奉書試合」は荒木又右衛門の話。 かけ橋さんの「蛙茶番」も面白かった。笑った笑った。舞台番の方を見た時のあのフレーズがたまらなく面白い。 午前の部を観た後は、そばの神田に駆け込んで昼食。そばの神田は花座に出ている噺家さんからマクラで話題に上りますね。あるいはSNSにもそばの神田で食べてる様子が載ってたり。 昼は冷たい紅生姜天蕎麦にした。夏らしくて良い、美味しかった。 すぐに花座に戻る。 午後の部 テーマ「食べ物」 一、オープニングトーク 一、春風亭かけ橋「碁泥」 一、神田松麻呂「吉岡治太夫」 ~仲入り~ 一、神田松麻呂「鯉の久三」 一、春風亭かけ橋「茶の湯」 午前の部と変わって入りが。 開場前かけ橋さんが声掛けて下さって「寝っ転がって観ても良いですよ」まさかそんな事出来ないけど。 オープニングトークで良い感じにほぐしてくれて、凄く楽しい雰囲気になりました。 松麻呂さんの「吉岡治太夫」は宮本武蔵が出てこない寛永宮本武蔵伝の第八話。迫力が凄い。 一席目のマクラで、迷ったネタが「茶の湯」の羊羹とツクから、と仰っていましたが、なる程そういう所まで配慮するものか。 テーマに合わせた話「鯉の久三」、たしかに食べ物が眼目のものじゃないですね。若い頃の徳川家康の忠臣のエピソード。 講談は全く初心者なので、落語と違って知らない話がまだまだたくさんある。それらをライブ

落語観てきた「みやぶんワンコインシアターvol.15飛び花座 宮城野寄席@宮城野区文化センターPaToNaシアター」2024/6/13

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平日の昼間、落語を楽しんできました。 午後の部もあったのですが、午前の部だけ。 両方行こうかなとも思ったけど、体調なども考慮し、午後は自宅でゆっくり休んだほうが良かろうと午前の部だけ予約しました。 会場に着いてみたら、午前午後とも満員札止めだったそうです。早めに予約出来て良かった。 演者と演目はこちら↓ 一、春雨や晴太「八問答」 一、春風亭弁橋「御神酒徳利」 一時間だけの公演なので、それぞれ一席ずつでした。 晴太さんは暫くお仕事お休みされていましたが昨日から高座復帰されたと、Xで情報を知りました。 余計な話ですが、最初この公演のチラシには出演者は晴太さんだけクレジットされていて、途中から配られるようになったチラシに新たに弁橋さんの名前が加わっていました。晴太さん休業中というのは伺っていたので、もしかしたら今日は弁橋さんだけになるのかとも思っていましたが、本日無事に晴太さんの高座が観られました。 晴太さん高座に上がると客席から「待ってました!お帰り!」の声が掛かりました。 「八問答」はテンポよく楽しかった。 弁橋さんの高座は、若さ溢れる瑞々しい感じ。前座の時花座で拝見して、凄く楽しそうに落語をやる方だと思いましたが、今日も全く同じ印象。明るく楽しい。 落語は明るく楽しいのが好き。 日頃憂さが溜まるわけですが、こうして落語を観に行くとそれがスッキリ晴れる。 落語を観て笑って、そして自分の周りのお客さんの笑い声に包まれる感じもまた良い。 今日はとても良い気分になれました。 今日はお土産に晴太さんの手拭い購入。 弁橋さんのは売ってなくて、スタッフの方に訊いたら「叱ってやって下さい、忘れたそうです(笑)」とのこと。また機会があれば求めたい。 しかし、今日は200近い席が埋まる盛況ぶり。平日にもかかわらず、これだけ落語を観に行こうという方が仙台にも居るんですね。おそらく落語ファンの他、このみやぶんワンコインシアターのシリーズに付いているお客さんも居るんだろうと思います。 この宮城野区文化センターは初めて来ました。新しく綺麗な施設。 今回の会場のPaToNaシアターは、落語会やるのに丁度良いね。200くらいのキャパ。ここで落語会やりたい。

落語観てきた「魅知国仙台寄席六月上席@花座」2024/6/5

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今日は仙台の寄席・花座に落語を観に行ってきた。 思い出話の投稿ばかりだったけど、ようやく現在進行形の話を。 魅知国仙台寄席六月上席 2024年6月5日(水)午前の部 @花座 一、春風亭昇ちく「弥次郎」 一、ストロングスタイル「漫才(食レポ)」 一、三遊亭花金「茶の湯」 ~仲入り~ 一、鼓風☆響「和太鼓と津軽三味線」 一、三笑亭夢太朗「たがや」 お目当ては、花金さん、ストロングスタイル、夢太朗さん。揃ってたので今日は楽しみにしていた。 前座の昇ちくさん。昇太さんの十番弟子。所々師匠に似てる、こういうの好き。客席からポロッと出た一言もちゃんと拾って。 ストロングスタイルは仙台で活動する漫才師。育英と東北高校など地元ウケする話など、楽しく笑わせて貰った。食レポのネタも笑った笑った。 コロナ明け後久し振りに花座に行った時、お客が私含め二人だけの時があった。その時も出演されていた。お客は二人だけだったけど、投げないでしっかり演ってくれて、とても楽しい時間を提供して下さった。あの時から特に好きになりました。応援したい。 三遊亭花金さん。口調、佇まい、良い噺家さんだなぁ。ネタも「茶の湯」と私が好きな噺。時間の関係か孫店の三人の件は無かった。 鼓風☆響の二人は、それぞれが日本一・世界一だとか。 夢太朗さんも勿論良かった。明るくて押し出しが良くって、大変楽しませて頂きました。ぐぐっと高座に引きつけられる感覚、それに身を委ねる心地よさを感じた。 今日は観に行けて良かった。平日の昼間、こうして落語や演芸を楽しめるの、良いね。満足。 受付で、落語協会黙認誌の「そろそろ」が売ってた。第二号が無かったけど、最新号含め四部、思わず買ってしまった。前来た時は置いてなかったはずだから、最近仕入れたのか。 あまり置くスペース無いかも知れないけど、こういう落語ファンが喜びそうなもの、花座でもっと扱って欲しいな。

落研の思い出「OBさん」その一

学生時代、落研に遊びに来てくれる落研の卒業生(OBさん)が結構居た。 一年生の時は、その年の春に卒業したばかりのOBさんがたまに来てくれた。 落研だからというわけでは無いけど、それなりに個性のある先輩方だった。 単位が足りず卒業出来なかったけど、でも落研は四年生終えたら強制的に追い出されるので(そういう伝統)、半OBみたいな方も居た。 その方のエピソード。発表会の打ち上げかなんかで泥酔し、立ち寄ったコンビニであろうことかトイレの便座を破壊。でも泥酔してたんで全く記憶に無い。翌朝、何処かに眼鏡を落っことして帰った事に気付き(よく眼鏡無しで帰れたもんだ)、なんとか前夜の行動思い出しながら辿り着いた件のコンビニ。「あのう、こちらに眼鏡の落とし物ありませんか?」って訊いたら「これ、君の眼鏡? お前か! トイレ壊したのは!」そのコンビニのトイレに眼鏡を落っことしてたらしく、それが証拠となりあえなくお縄。いや、逮捕はされてない。ご厚意で弁償だけで事を納めて貰えたらしい。 良い人なんだけど、この一件を聞いたせいでお会いする度にちょっとニヤついちゃう。 他、落語に詳しいOBさんで、稽古してもらったら目から鱗みたいなアドバイスを下さる方が居た。当時は知識が無いから全てが新鮮。「よし、この先輩にたくさん教えて貰おう」と思った。 ただ、若い時というのは色々あるもんで。たまたま私が部会に居なかった時、遊びに来てたその方、詳細書けないけど、人間関係のもつれから土樋部室の中で発狂して、暴れて(幸い怪我人無し)、でその後もう二度と落研に来る事は無かった。四十周年の時も連絡したはずだけど当然梨の礫。人間色々あるもんだと学んだ。 学生時代、近い世代のOBさんは、お兄さん的な感じで割とフランクに交流させて頂いた。でも、私が三年生くらいになったらもうお会いする事は無かった。そのOBさん達からしたら、自分が現役の時に一緒に活動した後輩に会うために来ていたのだから、その方々が卒業してしまったらわざわざ部に来る理由が無いわけだ。 卒業間もない頃は発表会にも足を運んでたけど、話の出来る後輩が卒業していき、知らない後輩ばかりになると現役の発表会にはなんとなく行きづらくなるのは、どのOBもそうだったのだと思う。

落研の思い出「初めての寄席」

生まれて初めて寄席に行ったのは落研に入ってから。 秋田の田舎で過ごしていたので、寄席どころか生の落語も落研に入るまで未体験だった。 落研では当時夏合宿を行っていた。 稽古のための合宿ではなく、落研の顧問(師匠)であった翁家さん馬師匠にご挨拶に行くため。 という大義名分と合わせて、皆で東京へ遊びに行く・寄席へ行って本物の落語を観に行く・さん馬師匠から扇子と手拭いを貰いに行く、という目的もあった。 高座扇は当時仙台で買う手段が無かったので、さん馬師匠から頂いていた。 私は最初は小円歌さんの名前が入った扇子を使っていた記憶がある。手拭いはさん馬師匠の山吹色のやつ。 東京・上野に着いたら、その足でさん馬師匠のお宅へ。 さん馬師匠は師匠である九代目桂文治(留さんの文治)の養子となり、文治師匠のご自宅にそのままお住まいであった。昔ながらの長屋。ごく近所には、昔八代目林家正蔵(彦六の正蔵)が住んでいたという。「落語に出てくる長屋はこんなイメージでやると良い」とさん馬師匠から教えて貰った。 私が生まれて初めて生で見た落語家さんはさん馬師匠。 お会いした時、ちょうど私は初高座に向けて「たらちね」を覚えていて、そのことをお話ししたら、さん馬師匠「たらちね」をひとっ節喋って下さった。ひとっ節てのも変だけど。荷売り商人の荷の担ぎ方、売り声、「ネギや~、ネギ」の鼻濁音について。 ご挨拶を終えた後、おかみさんから「うちの才賀(桂才賀師匠、さん馬師匠の弟弟子)が出てるから」と、浅草演芸ホールに行くよう勧められ、向かう。 それが私の初めての寄席体験。 最初に誰が出てたか、トリが誰だったかは覚えてない。 勧められた才賀師匠は、茶番のようなものをやってらしたと思う。凄く笑った覚えがある。 あと覚えているのは、喬太郎さんが「たらちね」をやっていた事。 前述の通り「たらちね」を覚えてるところだったので、テンションが上がった。所作とか食い入るように見入った。 他にも、ちょうど先輩が練習している噺が何本が出てたので、テンション上がって「今日は私達が稽古してるネタが出てますね! 勉強になりますね!」と先輩に話したら、周りから落研だと思われたくないのか恥ずかしそうにされていた。なんとなく落研は恥ずかしいという、すみれ荘的な空気は当時我々にもあったのだ(私以外)。